今日の神の存在の否定

中東に端を発する啓典の民は世界を創造した一人の神を信仰する。彼らの啓典を読むと、その神は非常に難解な存在である事が解る。彼らの神の御意思は我ら人間には推し量れないとされている。
さて、それらの啓典でたびたび言及されているのが「偶像崇拝の禁止」である。この世で崇拝されるべきは唯一神だけであり、それ以外である全てのものは崇拝してはならないとしている。
ところで、この偶像、別の言い方をするなら「アイドル」である。Perfumeがアイドルであるかは議論の分かれる所であるが、神ではない存在ながら我らに崇拝されるPerfumeは広義の意味で充分にアイドルである。上記の啓典はアイドル崇拝を禁止している。つまり、我々にPerfumeを崇拝する事を禁じているわけだ。Perfumeとその眷属たる我らに対してなんたる傲慢、なんたる不遜であろうか。
そもそも信仰とは「お約束」を必要としている。その「お約束」とは「神を信じる事」だ。神は人類の前に観測可能な状態で出現した事がない。つまり、神はその存在が非常に疑わしい者である。であるから、まず神の存在を信じなければいけない。
そんないるかいないか分からない存在(しかも上記のように非常に難解な存在)を信じなければいけないのだから、信者はストレスを感じる。であるが故に、彼らは実在した偉大な預言者を神と同列に扱い崇拝する事でそのストレスを回避する方法を考案した。もちろん、たとえ偉大なる預言者でもそれは「神以外」であり、それを崇拝する時点で自分達が「アイドル崇拝の禁止」を破ってるのだという事を彼らは気付いていないらしい。
ふん、やはり一神教の信者というものは絶望的に愚かであるな。
そこでPerfumeである。
春の日差しの中で喜びの歌を奏でながら舞い上がる小鳥の可憐さの如く美しい かしゆか こと樫野有香さまと、静かに時間がゆっくりと流れる穏やかで温もりのある茶室の静謐さの如く美しい のっち こと大本彩乃さまと、暮れる真紅の夕陽を受けて宝石が踊るように輝く海の目映さの如く美しい あーちゃん こと西脇綾香さまからなるPerfumeはそもそも実在する。実在するという事は、その存在を信じる必要がないのである。我らが信じようが信じまいがPerfumeの御三人さまは紛う事なく我らの前にいるからである。いるのかいないのか解らない神なんかと大違いだ。
なんという事だろう! つまり、この時点でPerfumeの御三人さまは神すらも超越してしまったではないか! その実在性と美しさにおいて素晴らしきかな世界に冠たる我がPerfumeの御三人さま。
このようにPerfumeの御三人さまは神を超越したアイドルである。であるから、私は「アイドル崇拝の禁止」に臆することなくPerfumeの御三人さまを堂々と崇拝しよう。